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2010年12月22日

vol.133 高速道路料金を考える

 来年度から実施する予定の新たな高速道路料金がまとまりつつある。その料金体系を検討している際、「高速道路の無料化」には党内外に相当の誤解があること、つまり、あまり理解されていないことを感じた。そこで、今回は「高速道路料金」の基本的な考え方を説明しようと思う。
 まず理解してもらいたいことは、「渋滞は悪」であるということだ。一般道にも当てはまるが、渋滞は良い効果を生まない。渋滞すると二酸化炭素排出量は増える。道路建設の意義は“時間短縮”が最も大きな意義であるにもかかわらず、渋滞は“時間ロス”を招く。
 また、作ってしまった道路にとっては使われないことは悪である。使われないような道路を作ったことも悪だが、一旦作ってしまった道路は使われればムダにはならないで済む。高価はコートも着ればムダではない一方でいくら安価なコートも着なければもったいないのと同じだ。
 その渋滞を少なくし、道路を使ってもらうために、通行料金で調整する方法がロードプライシングという交通需要調整の手段である。

 そこで高速道路料金の無料について。例えば、一般道(いわゆる下道)が混んでいて渋滞が発生している。その一方で一般道に並行して走る高速道路は空いている。高速道路には料金がかかるため、多少時間的余裕のある方は一般道を利用するから一般道が混む。そこで、高速道路料金を無料にすれば(料金抵抗がなくなれば)、一般道の利用者が多少なりとも高速道路に移り、高速道路の交通量が増える。一般道の渋滞を減らし、一旦作ってしまった高速道路を有効活用する(交通量の分散・平準化)ことができる。しかし、高速道路の利用が増えて渋滞を引き起こすことは避けなければならない。なぜならば、「渋滞は悪」であるからだ。しかも一般道がすき、高速道路が渋滞することになっては本末転倒だ。よって、社会実験を実施して、渋滞を引き起こさない高速道路に限って無料にするというのが、民主党が示した“高速道路の無料化”である。一部に全ての高速道路を無料にすると誤解されているようだが、そもそもの高速道路の建設意義(時間短縮という意義)を考えればわかって頂けると思う。

 次に「新たな高速道路料金」についてである。一部に「高速道路を無料にすると言っていながら、高速道路料金を上げるというのは理屈に合わない」との批判がある。しかし、上記で説明したように、そもそも全ての高速道路料金を無料にするという考えではなかった。そこで、無料にできない高速道路の料金をどうするのかという問題を解決しなければならなくなり、新たな高速道路料金を決めなければならないのだ。
 今の料金制度は2011年3月で期限が切れる。放置しておくと様々な割引がなくなる。土日・祝日も、上限1,000円ではなく通常料金に戻ってしまう。放置するというのも1つの方法だが、一旦慣れた料金が一切なくなると混乱する危険性がある。よって、3月までには制度設計を含めて一定の結論を出す必要がある。
 その際は、前述したように「渋滞は悪」「作ってしまった道路は使わないことが最ももったいない」を基本的な考え方として、「渋滞を可能な限り少なくするとともに、あまり使われていない道路の利用を促進する」料金体系を講じなければならないと私は考えている。

 ところでvol.132で予告した「今、なぜ観光か(その2)」は年明けに。
 では、良いお年をお迎えください。(2010年12月22日)
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2010年12月03日

vol.132 今、なぜ観光か(その1)

 11月15日のショートトークで「今なぜ観光か」について、数回にわたって書き綴ることをお約束した。今回は、その第一回目。政策を考える前提となる視点は、私の「民主号外11・12月号」に掲載したので(お読み頂けていない場合は、本文をお読みになる前にウェブをご一読願いたい)、その視点に沿って「観光を進める意義」を少しずつ説明しようと思う。

 第一は、世界の中の日本という視点。まず、世界中でどれだけの人が旅行のために移動しているだろうか。UNWTO(世界観光機関)によると、1950年に2,528万人であった全世界の外国人旅行者数は、80年に2億8,600万人、2000年に6億8,800万人、08年に9億人強と増加している。UNWTOは、2020年には15億6,000万人が世界中を旅すると予測しており、世界は大交流時代を迎えている。
一方、日本を訪れる外国人客は、80年が81万人(対全世界比0.2%)、2000年が476万人(同比0.7%)、08年が世界第28位の835万人(同比0.9%)と、世界全体と比較すると伸び率は低迷したままである。その説明変数となるのが経済力である。国を超えて旅行する力は、その国の経済力が強く影響する。概して国民所得が高い国は海外旅行が活発だ。旅行するには時間とお金が必要である。つまり、時間とお金の両方が揃ってはじめて旅行をする。日本に近いアジア諸国の経済力はここ数年伸びてきたものの、2000年ごろまでの経済力は貧弱だった。しかも時間的余裕もなかった。よって、海外からの旅行客を誘致するには、経済的に豊かで、時間的にもゆとりのある欧米から日本を訪問してもらう必要があった。ただ、欧米は距離的には遠く、日本は国際観光の面ではハンディキャップを負っていた。
 裏を返せば、距離的・時間的に日本を訪問しやすいアジア諸国・地域は、まだ経済力が弱く、労働に時間が費やされていたため、海外旅行をする意識まで至っていなかったといっても差し支えないだろう。

 それでは2000年以降はどうか。今、世界の中でアジアの経済成長が顕著であることは周知の事実である。中国、インド、東南アジアなどの経済成長が著しい。このような経済成長が顕著な国・地域は、日本を訪問する可能性が高い。この状況の中、日本だけでなく世界中がアジア市場に注目し、積極的な観光客の誘致合戦を繰り広げている。韓国などは国策として、国際観光振興に積極的に取り組んでいる。そんな中で、政権交代までは日本だけが指をくわえて見ていたのが実態だ。日本と距離的に近いアジアマーケットをみすみす近隣諸国に奪われるとなったら、日本は笑いものだ。
北海道大学の石森秀三教授は、「観光の構造的変化は1860年代にヨーロッパの富裕層を担い手として始まり、1910年代に米国の中産階級、60年代に日本を含めた北半球の先進諸国で発生した(『観光革命と20世紀(1996年)』石森秀三編)」と言っている。昨今のアジア諸国の経済成長を考慮すると、2010年代にはアジアで新たな構造的変化が生じると容易に推測できる。その真っ直中に日本がいる。このチャンスを逃すと、観光立国日本を創ることはできない。それ故、今こそ観光に力を入れる時なのである。

 次回の「その2」では、今日本が抱える急速な少子化と高齢化、そして人口現象面から「今、なぜ観光か」を考えてみることにしよう。(2010年12月2日)
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2010年11月15日

vol.131 議員定数削減の議論

 先週の金曜、民主党「政治改革推進本部」の総会が開かれ、議員にかかる経費や歳費の議論があった。
 民主党はマニフェストに議員定数の削減を記載した。現在480名の衆議院議員定数を80名削減し、242名の参議院議員を40名削減するという内容だ。私自身は民主党の国会議員であるため、民主党のマニフェストに掲げた公約に賛成である。ただ、議員定数を減らすことの意味を国民と共有しておくことは重要だと思う。
 民主主義の原型は、コミュニティのことはそのコミュニティに所属する全員で決めることにある。しかし、コミュニティが大きくなればなるほど、全員が集まって議論して結論を出すことは物理的に難しくなる。そのため、コミュニティの代表者を選び、その代表者が集まる場を設けて議論をして結論を導き出すという方式が生まれた(ちなみに、代表者を選ぶにあたって、ルソーは、「抽選による選任法が最も民主政にかなう」と言った)。このことは、議員を減らすということは自分のコミュニティの代表者を減らすことにつながることを意味している。つまり、議員を減らすことは、自分の声を代弁する代表者を減らすことである。
 日本の有権者は約1億人。衆議院議員は現在480名であるから、有権者一人当たり0.0000048人の衆議院議員がいることになる。衆議院議員が80人減って400人となれば、有権者一人当たり0.000004人となる。逆に言えば、衆議院議員1人は208,333人の有権者を代表しているが、定員を80人減らすと衆議院議員1人は250,000人の代表となる(もちろん小選挙区の人口によって異なる)。要するに議員定数の削減は、自分の声を代表する議員を減らすことにつながり、自分の意見が議会に届きにくくなることを理解しておかなければならない。衆参で120名の議員を減らすことは、17%ほど自分の声が薄まるのである。
 一方、議員定数の議論の原点が、議員にかかる経費を減らすことだとすれば、議員の歳費を含めいろいろ見直すことはある。国民にとって最もプラスになるのは、みなさんが負担しているコスト(税金)に見合った活動、あるいはそれ以上の活動を議員が行うことであろう。
議員活動の評価の軸をどこに置くかは、それぞれ皆さんが考えることである。評価は自分がするものではなく、他者がするものである。もっとも、国会議員としての活動をつぶさに評価できるわけではないが故に、議員定数を減らすべきという声が上がるのも無理のないことである。
 「何人が適正な議員数か」の判断は難しく、なかなか正解は見いだせないが、前述したように議員を減らすことは、自分の声が届きにくくなることだけは理解しておくべきではある。(2010年11月15日)
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2010年10月28日

vol.130 ねじれの中での筆頭理事はつらい

 この臨時国会から、私は参議院国土交通委員会の筆頭理事を務めている。やってみてよくわかったことだが、与党でありながら参院では過半数を持っていないことは想像以上に辛い。
 衆院の場合、与党でなければ野党である。「何を当たり前のことを言っているんだ」と思われる方もいらっしゃるだろう。しかし、参院は与党でありながらも与党ではないような状況が生まれている。衆院と参院とでは置かれている立場が全く異なる。これが、いわゆる“ねじれ”だ。
政権は衆院での議席数で決まる。そのため、過半数を超えれば与党、超えなければ野党とわかりやすい。1党単独でなくても連立政権であっても、連立を組んだ結果において過半数を超えれば与党、超えなければ野党だ。一方、参院の場合、衆院で過半数を持って与党になっても、参院で過半数を取れなければ参院では野党みたいなものだ。
 つまり、衆院では与党であれば(いざとなれば、最後の手段として)数の力を借りることができる。野党であれば与党の要望を蹴飛ばしたければ難癖をつけていれば済む。衆院では与党であっても野党であっても結構強気で相手との交渉に臨むことが可能だ。
 一方、参院では与党であっても数が足りないので、いざという時でも数の力という手段は使えない。数の力を使える状況にあるのはむしろ過半数を持つ野党だ。また、与党は政府と一体で進むことが前提であるため、法案審査の際は野党に委員会開催や採決をお願いしなければならない立場にある。そのため、野党には懇切丁寧に臨むことになる。あまり強気で交渉はできない。
 少し複雑で分かりにくいかもしれないが、要するに衆院は与党であっても野党であっても相手との交渉は強気で臨めるが、参院では与党でありながらも参院で過半数を持っていないねじれでの与党は立場が弱い。今は、その弱い立場が民主党であり、特に直接の交渉窓口となる国対委員長や各委員会の筆頭理事は、結構時間も余計にとられるし、精神的にもストレスを抱える。
 例えば、自民党の筆頭理事から、委員会の開催についての交渉の際、「今すぐであれば時間が取れる。今を逃すと明日夕方までは時間が取れない」と言われれば、私たち民主党の筆頭理事は、何をおいても(自分の予定を変更してでも)先方の筆頭理事に会いに行かなければならない。さらに委員長が自民党の場合、「野党の意見をのんでもらえなければ、やりたくないけど委員長に決断してもらわなければならない」と野党の筆頭から言われれば、妥協しなければならなくなる。
 あと3年間、この状況が続く。(2010年10月28日)
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2010年09月27日

vol.129 音楽大好き人間のつぶやき

  先日、久しぶりにCDを買おうと出かけたが、お目当てのHMVが忽然と消えていた。HMVは外資系CDショップの先駆けだ。私がCDを買ってきたHMVの数寄屋橋阪急店が姿を消し、今夏は有楽町のインズ店も閉店した。その後まもなく、今年の8月22日HMV渋谷も日本進出から20年で閉店。そのニュースはテレビや新聞でも取り上げられた。
  CDの売行き不振が原因だ。CDは、10年前と比べると生産ベースで半分にまで落ち込んだ。しかし、街や電車の中でウォークマンやiPodなどで音楽を聴いている人をやたらと見かけるから、日本人が音楽を聴かなくなったわけではないだろう。CDの売行き不振は、多くの人が音楽配信、つまりインターネットでダウンロードして楽曲を入手するようになったからだ。しかも、CDを購入する際も、インターネットでの通信販売を利用するため、CDショップの商売が成り立たないということのようだ。もちろん、時代の要請ということであるので仕方がない部分もあるが、小学校の時から音楽を聞きまくってきた私にとっては、少し寂しい。
  仮にCDに10曲収められているとしよう。10曲も入っていると、自分の好みにあわない、あるいは駄作と思われる曲も2〜3曲混じっている。しかし、何度か聞いているうちに、最初は駄作と思った曲が自分にとっては名曲に変じることもたびたびある。もし、気に入った曲だけをダウンロードして楽曲を手に入れていたら、駄作から名曲に転じた曲とは出会えなかっただろう。それ故、私はベスト盤を好まない。全てがヒット曲であるよりも、ヒットしそうもない曲や万人受けしない曲が入っている方が楽しい。また、曲の並び順もプロデューサーの腕の見せ所だ。順番によって楽曲の印象が変わる。
  CDショップに行くと、自分のお目当てのCDではない別のCDにも出会う。目的のCDとは違う別のCDを買ってしまった経験を持っている方も多いと思う。それは本や文房具と同じだ。本も本屋に行くと別の本を手に取ってしまうことがたびたびだ。また、本屋に行くと最近の傾向が一目でわかる。世の中の人の好みや傾向がわかる点では、本屋はいわゆるマーケティング機能を果たしてくれる。通販などでも、特定の本を購入しようとすると「その本を買われた方は、こんな本も購入しています」というメッセージとともにお奨めの本を紹介してくれる。それはそれで便利かもしれないが、あまのじゃくの私にとっては、それは余計なお世話である。その点、本屋に行けば自分で本を選ぶことができる(といっても本の配置は本屋さんの意図によって並べられているので、完全には自分の意思ではないが)。日々進化している文房具も、通販よりも店で探した方が新しい発見があって面白い。
  話をCDに戻そう。輸入盤にはないケースが多いが、国内盤CDにはライナーノーツと言われる解説がついている。これを読むと、演奏者や楽曲のことをより深く知ることができる。CDのジャケットも面白い。どちらを買おうか迷った時は、ジャケットで決めたこともある。つまり、ジャケット、ライナーノーツ、楽曲の出来不出来や演奏の順番など、CD一枚には沢山の専門性と芸術性が詰め込まれている。そんなCDが世の中から失われつつあることはとても残念だ。
 インターネットは便利で良いし、音楽配信や通信販売は忙しい現代人にとっては合理的で良いかもしれない。が、度が過ぎると面白みがない。ところで、私はこれからどこでCDを買えば良いのだろうか・・・。まずは、インターネットで検索してみようっと?!(2010年9月27日)
posted by 藤本祐司事務所 at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ::: 藤本ゆうじのホンネ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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