確定ではないが、9月22日に臨時国会が召集されるようだ。自民党総裁選挙後、時間をおかないで臨時国会を召集し、首班指名を行い、組閣に関する混乱を減らしたいというのが小泉総理の意向らしい。今回の自民党総裁選は、早い時期から安倍内閣官房長官の当確が出ていた。しかも正式出馬を表明する前からである。その議論たるや、自民党内の内向きの議論でしかない。国民を向いた議論が見当たらない。自民党内の派閥やグループの勢力争いであり、総裁決定後の閣僚ポストや自民党執行部ポストを見据えた勝ち馬に乗る議論でしかない。
新聞やテレビ等のマスコミも7月から、“ポスト小泉”に関する話題ばかり。国会閉会中は、ネタ枯れ時期ではあるとはいうものの、連日同じ話題では読者もいささか食傷気味に違いない。
8月には北方領土付近で漁船が銃撃され、1人が死亡、3人が身柄を拘束された。外務省は、ロシア政府に対してなすすべもなく、3人の身柄の引渡しに失敗した。そんな折、邦人の生命を守る日本国政府の内閣官房長官と外務大臣は、自民党総裁選挙に一所懸命になって、ロシアとの交渉を積極的に行わなかった。マスコミも、その点を批判することなく、自民党総裁選挙だけに熱心になっていた。こんな政府・自民党とマスコミに違和感を覚えた国民が何人いただろうか。
本来、あらゆる交渉手段を使ってでも、邦人保護に全力を尽くすべきポストの人が、肝心なときに、自らのポストにだけ熱心になっていた。こんな方に内閣総理大臣になってもらっては困る。総理候補がそんな対応しかできずに、安心、安全な国家なんか創れるはずがない。外務省では役に立たないことがわかったら、さっさと外務大臣や内閣官房長官自らが動くべきであった。モスクワに飛ぶべきだったのだ。
北朝鮮がミサイルを発射した時も、結局中国や韓国を訪問して直接交渉したのは、米国のヒル国務次官補だった。「アメリカを機軸とした外交」と「アメリカに依存した外交」は、全く別次元である。それでも小泉内閣の支持率が下がらないということは、よほど国民が平和ボケしているのだろうか。
国会では議席数の差から自民党と公明党の政権与党の力は絶大である。野党には分が悪いことは明らかだが、世論を味方につけることで野党の力は強くなる。平和ボケした国民が目覚め、何が正しいのか、本質を見極めようとしてくれさえすれば、決して与党だけの思いのままにはならない。今の政治にとって重要なことは、世論が目覚めることであり、国民が怒りを思い出すことである。
2006年08月29日
2006年07月28日
vol.065:国会議員の年金制度は廃止されたこと、ご存じですか?
先日、テレビで信じられない発言を聞いた。政治家を呼んで討論をするテレビ番組のキャスターが、国会議員の年金制度がまだ継続していると思っていたのだ。先の通常国会で廃止が決まったにもかかわらずだ。
確かに、10年以上保険料を納めていた受給資格のある国会議員には、年金が支給されるため、国会議員の年金制度が完全に無くなったとは言えないのは事実である。そのため、中途半端な廃止はおかしいということで、民主党は対案を示したが、与党の議席が多すぎた。与党案が通ってしまった。
しかし、受給資格がない(議員歴10年未満の)国会議員は、納めた金額の8割程度を返還してもらって、それでおしまいでなのだ。年金として受給することはない。つまり、今後国会議員に当選しても、その議員には年金は支給されないことになる。もちろん、議員歴の短い私には年金は1円も支給されない。
実は、地元に帰った時、世間の方がどれだけ国会議員の年金制度が廃止されたことを認識しているか、試しに聞いてみた。驚いたことにほとんどの方が、まだ国会議員の年金制度が、そのまま残っていると思っている。あれだけ、国会議員の年金が特権だと、マスコミを含め国民の間で批判の的になったにもかかわらず、廃止されたことを知らない。しかも、それを捉えて、批判を繰り返すキャスターがいるとは、驚いて空いた口が塞がらない。批判するときは鬼の首を取ったかのように批判して、その指摘に対応してもそれには関心がない。言い放しで、自分の発言に責任を持たない人は、テレビ・キャスターとしての資格はない。テレビという影響の大きいメディアであるからこそ、責任を持って発言しなければいけないのではないか。
さてさて、そうは言っても「熱しやすく冷めやすい」のは、日本人の国民性とか。だからこそ、同じ過ちを繰り返すのだろうか。官製談合、天下り、口利き、贈収賄など、これまで何度も問題になっては消え、いつまで経っても解決しない。1億円の献金を受け取っても、忘れてしまう政治家もいるくらいだから、仕方があるまい。これは「熱しやすく冷めやすい」日本人の国民性のせいか、はたまた記憶力と忘却力の闘いなのか。
悪いことをする輩からすれば、「時間が経てば、みんな忘れるから大丈夫」といった具合かもしれない。せっかく絶大なる人気を誇った小泉総理も、来年の今頃はすでに国民から忘れ去られているかもしれない。
確かに、10年以上保険料を納めていた受給資格のある国会議員には、年金が支給されるため、国会議員の年金制度が完全に無くなったとは言えないのは事実である。そのため、中途半端な廃止はおかしいということで、民主党は対案を示したが、与党の議席が多すぎた。与党案が通ってしまった。
しかし、受給資格がない(議員歴10年未満の)国会議員は、納めた金額の8割程度を返還してもらって、それでおしまいでなのだ。年金として受給することはない。つまり、今後国会議員に当選しても、その議員には年金は支給されないことになる。もちろん、議員歴の短い私には年金は1円も支給されない。
実は、地元に帰った時、世間の方がどれだけ国会議員の年金制度が廃止されたことを認識しているか、試しに聞いてみた。驚いたことにほとんどの方が、まだ国会議員の年金制度が、そのまま残っていると思っている。あれだけ、国会議員の年金が特権だと、マスコミを含め国民の間で批判の的になったにもかかわらず、廃止されたことを知らない。しかも、それを捉えて、批判を繰り返すキャスターがいるとは、驚いて空いた口が塞がらない。批判するときは鬼の首を取ったかのように批判して、その指摘に対応してもそれには関心がない。言い放しで、自分の発言に責任を持たない人は、テレビ・キャスターとしての資格はない。テレビという影響の大きいメディアであるからこそ、責任を持って発言しなければいけないのではないか。
さてさて、そうは言っても「熱しやすく冷めやすい」のは、日本人の国民性とか。だからこそ、同じ過ちを繰り返すのだろうか。官製談合、天下り、口利き、贈収賄など、これまで何度も問題になっては消え、いつまで経っても解決しない。1億円の献金を受け取っても、忘れてしまう政治家もいるくらいだから、仕方があるまい。これは「熱しやすく冷めやすい」日本人の国民性のせいか、はたまた記憶力と忘却力の闘いなのか。
悪いことをする輩からすれば、「時間が経てば、みんな忘れるから大丈夫」といった具合かもしれない。せっかく絶大なる人気を誇った小泉総理も、来年の今頃はすでに国民から忘れ去られているかもしれない。
2006年07月11日
vol.064:参院選からちょうど2年が経過
7月11日は、私にとっては忘れがたい日の1つだ。2年前の2004(平成16)年7月11日は参議院選挙投開票日であった。
私を除く全ての地方区選出議員は、当日のうちに当選確実の朗報を得た。一方、私はというと、日付が変わった翌12日の夜中の12時過ぎになって民放が当確を打った。NHKに至っては、開票率99%になってやっと当確を出した。最後の最後までどうなるかわからなかったのだろう。
今だから言えるが、実は結果を待っている間も、それほどドキドキしていなかった。“まな板の上の鯉”状態だったからなのだろう。今さら、何もできないし、駄目なときは駄目だし、当選する時は当選するという、一種割り切った考えがあったからであろう。
選挙に出ると決めた時、ある人から「落選した場合のことを考えていないのはおかしい。」と避難されたことがあった。きっと逃げ道を作っていると思ったのかもしれない。しかし、私は落選したときのことは一切考えていなかった。集中して戦っているときに、負けたら何をしようかと考える方が余程不謹慎だと私は思っていた。駄目な時は駄目だし、当選する時は当選すると覚悟していた。度胸があるといえば度胸があるのかもしれないし、生き方が下手だといえば下手なのかもしれない。
綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、私はただ日本の政治を変えたい、日本の政治の熟度を高めたいという思いから、参議院選挙に挑戦したのである。
さて、その参議院議員選挙に当選して2年が経った。毎日がジレンマとの闘いでもある。政治家を身内に持つこともないため、政治家とはどんな行動をとるのか知らず、しかも20年もの間、政治とかけ離れた世界でサラリーマンとして生きてきた私にとって、政治家の行動が奇異に思えることがある。既存の政治家の行動を全て是認していては、政治は変わらないし、熟度は高まらないと思っている。これまでのプロの政治家を真似て、同じような行動や活動をしている方が、世間の評判を得やすいし、ストレスが少ないことはわかっている。ただ、既存の政治家と同じ行動をとるのであれば、私の代わりは他にもいるし、私よりも適任者もいるかもしれない。そんなジレンマとの闘いである。
これまでとは違った方法や行動に挑戦しなければ、私の存在価値は薄くなるばかりであろう。私の1つ1つの行動は、全てがある意味実験だと割り切ることが重要だと考えている。藤本の行動が、他の政治家と違って違和感を感じて頂いたら、その行動は実験であり、その実験はある程度成功したと思って良いではないかと思う。
実際、100%安心して勝てる選挙はない。選挙は水ものである。であれば、100%負ける選挙もない。そうであれば、なおさら残された任期の今後4年間を、自分の思い通りの方法でやってみることこそが、私の存在理由である。選挙から2年目の今日、こんなことを再確認した。
私を除く全ての地方区選出議員は、当日のうちに当選確実の朗報を得た。一方、私はというと、日付が変わった翌12日の夜中の12時過ぎになって民放が当確を打った。NHKに至っては、開票率99%になってやっと当確を出した。最後の最後までどうなるかわからなかったのだろう。
今だから言えるが、実は結果を待っている間も、それほどドキドキしていなかった。“まな板の上の鯉”状態だったからなのだろう。今さら、何もできないし、駄目なときは駄目だし、当選する時は当選するという、一種割り切った考えがあったからであろう。
選挙に出ると決めた時、ある人から「落選した場合のことを考えていないのはおかしい。」と避難されたことがあった。きっと逃げ道を作っていると思ったのかもしれない。しかし、私は落選したときのことは一切考えていなかった。集中して戦っているときに、負けたら何をしようかと考える方が余程不謹慎だと私は思っていた。駄目な時は駄目だし、当選する時は当選すると覚悟していた。度胸があるといえば度胸があるのかもしれないし、生き方が下手だといえば下手なのかもしれない。
綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、私はただ日本の政治を変えたい、日本の政治の熟度を高めたいという思いから、参議院選挙に挑戦したのである。
さて、その参議院議員選挙に当選して2年が経った。毎日がジレンマとの闘いでもある。政治家を身内に持つこともないため、政治家とはどんな行動をとるのか知らず、しかも20年もの間、政治とかけ離れた世界でサラリーマンとして生きてきた私にとって、政治家の行動が奇異に思えることがある。既存の政治家の行動を全て是認していては、政治は変わらないし、熟度は高まらないと思っている。これまでのプロの政治家を真似て、同じような行動や活動をしている方が、世間の評判を得やすいし、ストレスが少ないことはわかっている。ただ、既存の政治家と同じ行動をとるのであれば、私の代わりは他にもいるし、私よりも適任者もいるかもしれない。そんなジレンマとの闘いである。
これまでとは違った方法や行動に挑戦しなければ、私の存在価値は薄くなるばかりであろう。私の1つ1つの行動は、全てがある意味実験だと割り切ることが重要だと考えている。藤本の行動が、他の政治家と違って違和感を感じて頂いたら、その行動は実験であり、その実験はある程度成功したと思って良いではないかと思う。
実際、100%安心して勝てる選挙はない。選挙は水ものである。であれば、100%負ける選挙もない。そうであれば、なおさら残された任期の今後4年間を、自分の思い通りの方法でやってみることこそが、私の存在理由である。選挙から2年目の今日、こんなことを再確認した。
2006年06月30日
vol.063:あっけない通常国会の閉幕
1月20日にスタートした第164回国会は、会期を延長することなく、6月18日に閉幕した。過去の例をみると、参議院選挙の年は150日間の会期で閉会となるが、政府自らが提出した法案、しかも重要法案と位置づけていた法案を残したまま、会期を延長しないのは前代未聞である。
余程、小泉総理は人を驚かすことがお好きなようである。別の言い方をすれば、良い意味でも、悪い意味でも、小泉総理はこれまでの政治の常識を覆してきた。小泉総理は全く常識にとらわれない希有な政治家であるかもしれない。
2年前、国民のほぼ8割近くが反対したにもかかわらず、「100年安心」と強調した年金改革。常識的に考えれば、世論調査等で8割もの国民が反対しているとわかったら、気恥ずかしくて“100年安心”などと強調できない。
昨年の郵政民営化法案の採決と衆院解散。法案が衆議院で可決、参議院で否決され、その結果、可決したはずの衆議院を解散した。常識的な総理であれば、勝てるタイミングを慎重に見計らって解散するが、小泉総理の場合、勝てる勝てないよりも、解散することを優先して決断した。負ければ辞めるだけと決めていたようにも思える。
そして、今年。重要法案を棚上げにしたまま、国会を閉じた。おそらく、自分がやるほどの法案でないと最初から決め込んでいたに違いない。
小泉総理は、幾度となく、政治のプロを自称する方々が素人に成り下がるほど、常識では考えにくいことをさらっとやってきた。
よく考えてみれば、私のように民間企業に20年も勤めていると、環境が大きく変化する前に新たな手を打つことの重要性はよくわかる。過去の常識にとらわれていては、成功はしない。たとえ、前年度に上手くいった方法であっても、今年はまったく別の方法でなければ、上手くいかないという例は枚挙に暇がない。
政治家は、一貫して考えを改めない方が「ぶれない人だ」と評価されるようだ。しかし、民間の企業人の場合、考えを一貫して変えないと「頭が堅い」とか「融通が利かない」言われ、どちらかというと評価が低くなるケースも多い。朝令暮改は、政治の世界ではマイナスだが、民間企業の世界では当たり前である。考えたからこそ改めるのであって、スピード感を持って対処しなければ、環境の変化に着いていけなくなるからだ。
このように考えてみると、これからは、過去の政治のプロ的な常識は邪魔になるかもしれない。私たち政治家が進歩し、多くの国民の皆様から支持されるには、これまでの政治の常識をまず疑ってみることから始める必要がある。基本は基本として認識し、身につける一方で、常識に過度にとらわれていては、新しい政治の潮流や環境についていけない。あっけない通常国会の幕切れではあったが、こんなことを考えさせてはくれた。
余程、小泉総理は人を驚かすことがお好きなようである。別の言い方をすれば、良い意味でも、悪い意味でも、小泉総理はこれまでの政治の常識を覆してきた。小泉総理は全く常識にとらわれない希有な政治家であるかもしれない。
2年前、国民のほぼ8割近くが反対したにもかかわらず、「100年安心」と強調した年金改革。常識的に考えれば、世論調査等で8割もの国民が反対しているとわかったら、気恥ずかしくて“100年安心”などと強調できない。
昨年の郵政民営化法案の採決と衆院解散。法案が衆議院で可決、参議院で否決され、その結果、可決したはずの衆議院を解散した。常識的な総理であれば、勝てるタイミングを慎重に見計らって解散するが、小泉総理の場合、勝てる勝てないよりも、解散することを優先して決断した。負ければ辞めるだけと決めていたようにも思える。
そして、今年。重要法案を棚上げにしたまま、国会を閉じた。おそらく、自分がやるほどの法案でないと最初から決め込んでいたに違いない。
小泉総理は、幾度となく、政治のプロを自称する方々が素人に成り下がるほど、常識では考えにくいことをさらっとやってきた。
よく考えてみれば、私のように民間企業に20年も勤めていると、環境が大きく変化する前に新たな手を打つことの重要性はよくわかる。過去の常識にとらわれていては、成功はしない。たとえ、前年度に上手くいった方法であっても、今年はまったく別の方法でなければ、上手くいかないという例は枚挙に暇がない。
政治家は、一貫して考えを改めない方が「ぶれない人だ」と評価されるようだ。しかし、民間の企業人の場合、考えを一貫して変えないと「頭が堅い」とか「融通が利かない」言われ、どちらかというと評価が低くなるケースも多い。朝令暮改は、政治の世界ではマイナスだが、民間企業の世界では当たり前である。考えたからこそ改めるのであって、スピード感を持って対処しなければ、環境の変化に着いていけなくなるからだ。
このように考えてみると、これからは、過去の政治のプロ的な常識は邪魔になるかもしれない。私たち政治家が進歩し、多くの国民の皆様から支持されるには、これまでの政治の常識をまず疑ってみることから始める必要がある。基本は基本として認識し、身につける一方で、常識に過度にとらわれていては、新しい政治の潮流や環境についていけない。あっけない通常国会の幕切れではあったが、こんなことを考えさせてはくれた。
2006年06月21日
vol.o62:第164回国会が閉会
1月20日に開会された第164回国会(通常国会)が、6月18日、正式に閉会した。わざわざ『正式に』と断ったことには訳がある。閉会の手続きが完了した16日が事実上の閉会日であったが、形式上、つまり通常国会が始まってから150日目は18日であったからである。通常国会は、国会法で150日と定められており、1回だけ延長することができるのだ。
さて、今国会は、教育基本法案や国民投票法案などの政府提出法案を9本残して閉会した。私が調べたところ、参議院選挙の年と衆議院解散の時を除いて、延長がなく国会が閉じたことは近年なかった。もっとも野党側から会期延長を申し入れることは、世界的にも例がないようである。会期を延長しても与党が3分の2以上議席を占めている以上、単に政府提出法案を早く成立させるだけに終わってしまう可能性が高いが故に、野党から会期延長を申し入れるわけにはいかない。
もちろん、議論しなければならないことは山ほど残っていることはわかっていながら、閉会することに反対できないこともジレンマであった。実は5月の行政改革法案が成立した時点では、きっと7月一杯までは延長することになるだろうと私を含めほとんどの国会議員は思っていたはずだ。小泉総理は、最後まで常識はずれだったことになる。
さて、この国会最後の総務委員会での審議はひどかった。平成16年度のNHK決算に関しての審議であった。様々な質問に対するNHKの答弁もわかりにくかったが、自民党議員の質問も反省の余地が多いに残る内容であった。
「サッカーW杯の特別番組の出演者が納得できない」や「トリノ・オリンピックの荒川静香の国旗をまとってのウィニング・ランの映像が切り替わったことがおかしい」や「日本ダービーの時に肝心な映像でなく、馬のお尻を映したことが駄目だ」とか、番組の企画や編集に対する文句が大半を占めた。わざわざ委員会を開いて質問するような内容なのか。腹立たしくもあった。
しかも番組内容に注文をつけることは放送局の編集権の侵害であり、まさに政治の言論への介入である。そのことに気が付いていない自民党議員には、開いた口がふさがらない。2年ほど前に問題となった安倍内閣官房長官や中川農水大臣にNHKが放映前に事前に番組内容を報告したことが政府介入であると問題になったが、その理由が自民党には理解できないのも無理はない。きっとこれまでも、何度か番組に文句をつけてきた習慣が、ここでも表れたのであろう。如何に、当たり前に政府が暗黙のうちに言論を規制していたことか。これは、絶対にあってはいけないことである。
さて、今国会は、教育基本法案や国民投票法案などの政府提出法案を9本残して閉会した。私が調べたところ、参議院選挙の年と衆議院解散の時を除いて、延長がなく国会が閉じたことは近年なかった。もっとも野党側から会期延長を申し入れることは、世界的にも例がないようである。会期を延長しても与党が3分の2以上議席を占めている以上、単に政府提出法案を早く成立させるだけに終わってしまう可能性が高いが故に、野党から会期延長を申し入れるわけにはいかない。
もちろん、議論しなければならないことは山ほど残っていることはわかっていながら、閉会することに反対できないこともジレンマであった。実は5月の行政改革法案が成立した時点では、きっと7月一杯までは延長することになるだろうと私を含めほとんどの国会議員は思っていたはずだ。小泉総理は、最後まで常識はずれだったことになる。
さて、この国会最後の総務委員会での審議はひどかった。平成16年度のNHK決算に関しての審議であった。様々な質問に対するNHKの答弁もわかりにくかったが、自民党議員の質問も反省の余地が多いに残る内容であった。
「サッカーW杯の特別番組の出演者が納得できない」や「トリノ・オリンピックの荒川静香の国旗をまとってのウィニング・ランの映像が切り替わったことがおかしい」や「日本ダービーの時に肝心な映像でなく、馬のお尻を映したことが駄目だ」とか、番組の企画や編集に対する文句が大半を占めた。わざわざ委員会を開いて質問するような内容なのか。腹立たしくもあった。
しかも番組内容に注文をつけることは放送局の編集権の侵害であり、まさに政治の言論への介入である。そのことに気が付いていない自民党議員には、開いた口がふさがらない。2年ほど前に問題となった安倍内閣官房長官や中川農水大臣にNHKが放映前に事前に番組内容を報告したことが政府介入であると問題になったが、その理由が自民党には理解できないのも無理はない。きっとこれまでも、何度か番組に文句をつけてきた習慣が、ここでも表れたのであろう。如何に、当たり前に政府が暗黙のうちに言論を規制していたことか。これは、絶対にあってはいけないことである。
